真に改革すべきは働き方よりも日本人的なその生き方である

ここがおかしい日本社会

世間では昨今、「働き方改革」が問われている。

こういった政策は歓迎すべきことであるし、否定はしない。しいて言うなら「なんでもっと早くやらなかったの?」といった問いを投げかけたいくらいだ。

 

であるが。

真に改革が必要なのは、働き方ではなく生き方にこそあると私は考えている。

こと我々日本人の生き方に関して、「右へ倣え精神が強すぎる」と揶揄されるように、みんなと同じ生き方を何も考えずにただ漠然と送っている人があまりにも多すぎるのだ。

働き方もまた、それに内包される一種にすぎない。

働く理由が、「みんなが働いているから」「働くのがふつうだから」であるニンゲンばかりだ。そのくせ、「生きていくため」や「生活のため」とそれっぽい理屈の皮をかぶせ、こぎれいに嘘を着飾っている。

 

しかし本当に生きていくためや生活のためであるのならば、これほどまでサラリーマンにこだわる必要はないし、また正社員だけにこだわる必要もなければ新卒を機に皆一斉に就職活動を始める理由もない。

ましてや過労死するまで働いていたり、働いているのにも関わらず生活を切り詰めている必要はもっとない。

生活のために働いているのにまともに生活ができてないというワケのわからない矛盾が生じているし、もう片方にいたってはそもそも死んでるがな。生きるために死ぬって、なにそれギャグ?

 

そんな一部の人じゃなくても、もっと身近な例を挙げてみても同じだ。

残業が多くプライベートな生活を犠牲にしていながら「生活のため」ってのもやっぱりおかしいだろう。生活のために働いているはずなのに、いつのまにか働くことが生活になってしまっているよ、それ。

もちろん生きていくためには多少のお金はどうしても必要だし、お金を稼ぐために労働をするという選択肢は誤りではない。誤りではないが、どう考えてもきみら、生活費として必要な額以上のお金をプライベートな生活を犠牲にしてまで稼ごうとしているよね。

以前の記事でも書いたけれども、「ただ生きること」も、「楽しんで生きること」も、今の時代はもうそんなにコストがかからなくなっている。

でも人々の意識は旧態依然としたままだから、昔のままの生活コストがかかると思いこんでいる。無意識のうちに。何も考えず。ただ、漠然と。

 

そして同様に、今は生き方の可能性も多様化しており、特別じゃないふつうの人でも「好きなことだけで生きていく」ことだって十分可能になったが、人々の意識の方がそれにぜんぜん追いついていない。

若者がユーチューバーやラノベ作家になりたいと言うと、「もっとちゃんとした職業に就きなさい」と諭されるのがオチだろう。うん、まず今のサラリーマンがちゃんと法律を守った会社に就いていないはずだが?

加えて、特殊な職業に就くことに何か問題でもあるだろうか? 「みんなと一緒じゃないから」「自分の持っている常識とは違うから」――そんな理由で生き方を、一回しかない人生を固定させてしまう方がよっぽどイカレている。

私は私で、おまえはおまえで、私の人生は私のモノで、おまえの人生はおまえのモノで、ほかの誰でも誰のモノでもないはず。

 

だからそういった右へ倣えの生き方もやりたきゃ個人で勝手にすればいいが、それを唯一絶対のモノとして若い人間《可能性の数々》に刷り込むのはもうやめにしないか。

「誰かと同じ人生」ではなく、「自分の本当の人生」を歩めるようにしないか。

そのために私は、改革すべきは働き方ではなく生き方だと考えているのだ。

 

誰でもない自分が。

本当に。本当に、やりたいことをやれる人生。悔いのない人生。そんな生き方を、みんながごく自然とめざせる世の中へ、変えていくために。

 

今。

あなたが今まで、数々の選択肢の中から選んできたその人生は。
それは本当に、あなたの意志で選んだものか?

「周りがそうだから」
「みんながそうしてるから」
「それがふつうだから」

そんな理由で、あたかも自分の意志で選んだかのようにして、大衆の流れに任せてただ選択権をそこに置いてきただけではないか?

 

権利にはその分、責任も伴うだろう。選ぶ者には、選択権を行使することのプレッシャーもあるだろう。

「みんなといっしょ」であれば、ずいぶんと気が楽だろう。

 

――けれど自分の人生の責任をとらなかったツケは、結局自分が払うことになるんだぞ。

自分が生涯を遂げてやりたいことって、ほんとにそれか?
自分が死ぬ間際になって、それまでの生き方を後悔しない自信はあるか?
自分の人生を振り返ったとき、その大半が仕事で埋め尽くされていないか?

どこでも見かける誰かと同じような生き方をして、本当に自分の人生を生きたって胸を張って言える?

 

……まあ、言ったところで何者でもないあなたのことを――”誰か”のことを――

 

世界は誰も、知らないけれど。

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