「異動・転勤辞令(実質強制)で、住む場所の自由すらない企業で一生働きたいか?

ここがおかしい日本社会

転勤・異動「辞令」。……という名目の、「命令」。断ればクビか、左遷か、それかもう今後その会社での明るい未来はないか。

そういった天秤にかけられ、ほぼ強制で転勤せざるをえない状態を作り出している奴隷商人のような企業が、この日本には数多く存在している。

そしてもちろん、こういったことをしてくる会社はそれ以外にも、

・休憩中も電話応対をさせられたり、
・残業にも拒否権はなかったり、
・休日出勤もしょっちゅうあったり、
・退社してからも電話に応答することを義務づけられたり、
・場合によってはその電話すらも個人のものを使用させられたりと、

ありとあらゆるあなたの自由を奪って、人生のすべてを会社のために捧げさせようと企んでいるだろう。

もしそんな会社にあなたが勤めているのならば、こう問いたい。

 

きみは奴隷なのか?

 

たとえあなたがそう感じていなかったとしても、実際問題奴隷のそれと同じであるとしか言いようがない。

いったい自由はどこにあるのだ? 1日わずかばかりの時間と睡眠時間、それとたまにしかない休日だけか? けどそれって奴隷にもあるぞ。

そして次は、こう問いたい。

 

ずっと奴隷のまま生きて、そしてそのまま死んでゆくのか?

 

今回は、そんな問題について考えてみよう。

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住む場所を選ぶ権利は、最低限の人権である

転勤辞令が人権侵害である理由

衣・食・住。
これらは我々人間が最低限文化的な生活を営んでゆく上で、欠かせない要素である。

そして今回、私がやり玉に挙げている「住」
これもまた、居住の権利として明確な条件が定められた上で保証されている。

ではその条件とはなんだろうか。Wikipedia先生に訊いてみよう。↓がその引用だ。

 「適切な住居」とは

1991年に出された、社会権規約委員会による居住に関する権利についての一般的意見4号は、その住居が「適切な住居」と言えるための一般的な条件を挙げている。

・居住に対する法的保護(強制立退きや嫌がらせ及びその他の脅威からの保護があること)
・利用可能性(安全な水、暖房、明かり、便所、洗面所、冷蔵庫、ごみ収集、排水などの存在)
・取得可能性(家賃等が居住を妨げない範囲の額であること、理不尽な家賃の値上げから守られていること)
・居住可能性(適切な広さがあること、雨風暑さ寒さ湿気その他の健康を害しうる要素から守られること)
・アクセシビリティ(障碍者、病人、老人、子供等にとっても利用可能であること)
・適切な立地(職場、学校、病院、保育所など社会施設が利用可能な場所に立地していること、汚染されまたは汚    染される可能性のある立地でないこと)
・文化的適切性(文化的アイデンティティ及び多様性の観点からも適切であること)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E4%BD%8F%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9 より引用。

初っぱなにある「居住に対する法的保護(強制立退きや嫌がらせ及びその他の脅威からの保護があること)」であるが、転勤辞令は表向きは辞令であって強制でないためこの条件には引っかからないが、

実際は強制とほぼ同義であるため、強制立ち退きと同じことだよね。

 

で、やっぱり世界ではこの考え方のほうが主流であって、たとえばアメリカなんかではよっぽどの理由でもない限り転勤なんてまずない。日本みたいなやり方を向こうでやったら人権侵害で訴えられるよ、マジで。

だから、こと労働環境において腐りまくったこの日本にいると感覚が麻痺してそれが当たり前のようになっているかもしれないが、まともな感性で考えると住む場所すらも自分で選べないなんて、奴隷に等しいと言える。

選択肢は、紙一枚分の勇気でつかみ取れる

しかし実は一点、奴隷にはない権利があなたにはある。それはとある選択肢だ。

視野が狭くなってしまっているせいで気づいていないだけで、あなたには今の会社そのものを辞めるという選択肢がある。

もちろん、サラリーマンは続けたっていい。

奴隷商社から、まともな会社に移ればいいんだ。

 

私はとある野望のために最終的にフリーランスを選んだが、だからといってサラリーマンすべてを否定するつもりは毛頭ない。

私もむかし大手優良企業で働いていたことがあるが、そこは本当に良いところだ。もしも私にその野望がなければ、そこでずっと働いていただろう。

 

だが、いわゆるブラック企業と呼ばれるような法的に存在してはいけない企業や、従業員であるあなたのことを体のいい道具くらいにしか思っていないような企業ならば、これは本当にあなたのために辞めた方がいいと思う。

たぶん、不特定多数に向けて書いている私のこのブログの記事のほうが、まだあなたのことを真剣に思っているのではないか。

そんなところ、長くいればいる分だけ損するだけだ。なんか得することあんの? それ。あ、退職するときに搾り取る未払い残業代とか?

 

とはいえ、人は何かきっかけを与えられないと、いまいち行動できない生き物である。だがよく考えてほしい。

今いる場所を捨てて、今築き上げている関係性の深い人達から遠く離れるくらいならば、転勤を強要してくるゴミカス企業のほうを切った方がよくないか。

これまで住んできた土地や家、家族や友人たちよりも、そのゴミカス企業の方が大事なのか?

それでもまだ躊躇しているならば、こう言おう。

……いや、望まないところへ引っ越す手間と苦労の方が、会社辞めるより重いぞ。

っていうか、会社辞めるなんてすっっっごく簡単なことだぞ。あととりあえず食っていくこともな。

 

だからどうせ重い腰を上げなくちゃいけないのならば、命じられるがままに転勤するよりは会社辞める方が楽で簡単でしかも自分のためになることなんだから、そっちを選んだ方が良いと思う。どう考えたって。なぜわざわざ自分からつらい上に報われもしない道を歩もうとするのか。

私ならせめて、つらくても我慢してそれを乗り越えれば報われる可能性の高い道を歩みたいけどね。っていう今がその道のりの最中。

 

私の野望とは、「慎ましやかな収入でいいから自分の人生を歩みたい」「人生を労働で埋めてしまって死ぬときに後悔したくない」というモノ。

実のところこういった生き方をするのは非常に難しく(それでも時代の流れか今は難易度が下がってきている)、それなりに険しい道のりだろう。

なにが険しいって、ふつうの人とは違った生き方を切り拓いてゆくことだ。

 

本当は40年間働くサラリーマンの道だって、よくよく考えるとかなり険しい。だって40年だぞ。果てしない月日じゃないか。

けれど、「みんな」が歩んでいるから、安心して歩くことができるんだ。

しかし私の選んだ道のりは、「みんな」は歩いていない。
だからそれが険しくて、どうしようもなく困難に見えるんだ。

 

けどな、

自分で選んだ道ならば、厳しくても困難でも、楽しいんだよ。

 

誰かにやらされたり、我慢してやりたくないことをやるよりもずっとずっと楽しくて、そして納得がいくんだ。

自分の人生に。
生き方に、納得ができるんだ。

だって私は、ほかの誰でもない、自分の人生を歩いているんだから。

もしもあなたが、拒めない転勤辞令を受けたら。
一度よく考えてみてほしい。

 

住む場所すら自分で選べないその道で、後悔はしないか?

 



どうせなら、まともな会社で働こう。

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