なぜ、理想の働き方・生き方は「ちょっと働く いっぱい遊ぶ」なのか?

生き方・人生について

プロフィールや「lifeworknext.comについて」にも書いているように、私は過去に一年ほどニートをしていたことがある。

「いちいちプロフィール見に行くのめんどくせー」って方に私の経歴を簡単に説明すると、

大学卒業

ゴミカス中小

ニート

月に5000円程度の小遣い稼ぎを始めたほぼニート

優良上場大手

フリーランス

で、↑今ここというわけだ。

そのときに気づいたのが、金だけあっても豊かとはいえず、逆に時間だけあっても豊かとはいえない。金と時間双方がそろって始めて豊かである、ということだ。

 

サラリーマンをしていると、とりあえずのお金はあるだろう。裕福と呼べるくらいにまでもらってる人は少ないにしても、生活するのに特に困るような収入の人はサラリーマンでは少ないはず。

その一方で、サラリーマンには時間がない。

 

かなり良い条件で勤めていても1日8時間は通常勤務時間であるのがふつうであるし、同じくかなり多めの年間休日数のところでも、年の3分の2は就業日である。半分どころの騒ぎではない。

しかも今挙げた条件は本当に優良企業中の優良企業の条件であるため、実際には基本労働時間が9時間でさらに残業も1~4時間くらいあって、年間休日も110日くらいしかない上にまれに休日出勤もある、というのが平均どころだろう。

 

こんな状態では自由な時間よりも拘束時間のほうがずっとずっと長いため、お金はあって生活はできていても、自分の人生を生きているとはとうてい言えない。

そう、本質的に豊かではないのだ。

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本当の豊かさを、あの日僕は知った。

働きずくめだと、お金はあっても豊かとは言えないことはさっき述べたとおりだ。
じゃあ、ニートはどうだろうか。

私は前述したとおりゴミカス中小企業勤めの経歴もあれば大手上場企業で働いていたこともあり、そして1年以上ニートをしていたこともある。

その経験と実体験から身を持って感じたのは、時間だけがあってもその時間を活かすためのお金がなくては、やはり豊かであるとは言えない、ということだ。

 

もちろんお金を使わない娯楽はいくらでもあるし、野草などを摘み取ってお金を極力かけずに生きていくことはできる。

できるが、結局それは選択肢を大きく制限されている状態であり、生きるために時間を使っている点で本質的にはサラリーマンの抱える悩みと同じである。

ならばまだ給料がもらえるサラリーマンの方がマシ……っていうか、いやそもそもどう考えたって豊かであるとは言い難いだろう、こんな生活は。

よって、真の豊かさを得るためには、金も時間もなくてはならないのだ。

なりたくてもなれないネオニート。現実的な路線では……?

であれば金のあるニート(ネオニート)が最強だが、資産家の子供でもない限りなろうと思ったところでまず不可能なわけで。

また、世間体や「ニートができなくなったときのリスク」まで考えると、ちょっとだけ働いて最低限生活に必要なお金プラスアルファを稼ぎつつ、ちょっとだけでも働いてることにより職歴と世間体も同時に得るのが現実的な落としどころである。

我々一般庶民が可能な範囲で真の豊かさを得ようと考えたときに、最終的にたどり着いたのがこの「ちょっと働く いっぱい遊ぶ」という生き方(働き方)なのだ。

そして現代においては、いい意味でも“悪い意味でも”この生き方が時代に適している。

「ちょっと働く いっぱい遊ぶ」が時代に適している悪い理由

悪い意味としては、今はもう「会社に入ってさえいればとりあえず食っていけて将来は安泰」ではなくなったことが挙げられる。有り体に言えば、終身雇用制度の崩壊だ。

これが昭和の頃ならば、とりあえずサラリーマンをやっていれば食いっぱぐれることはまずなかった……と言われていた。実際は時代が変わってそうじゃなくなったのだが。

特に私たち平成生まれの人間からすれば、サラリーマンになってさえいれば将来は安泰なんて夢物語もいいところである。

 

そもそも今の時代は大学を卒業してから定年まで働く日数よりも、企業の平均寿命の方が短いんだから、その時点で安泰はありえないわけで。

さらにITの進歩もめざましく、今ある職業が10年後20年後にあるとも限らない。22で大学を卒業したら20年後には42だから、下手したら42という転職も難しいような年齢で路頭に迷うハメになる。

しかも今まで雇われ人としての働き方しかしてこなかった人は、もうそれ以外の稼ぐすべをしらないだろう。

 

と、このように、企業勤めしていた場合の最大のメリットが今やもうなくなってしまっているため、サラリーマンをしているにしろしていないにしろ結局将来は不透明なんだから、それならいっそ確実に今を楽しめて、しかも若くて可能性に満ちあふれているときに人生を謳歌したほうがよくないだろうか。

いやむしろ、私がフリーランスの道を選んだように、会社に頼らなくても自分の力だけで稼いでいける・生きていけるすべを身につけていた方が、結果的にリスクヘッジとなるのではないか。

そしてこの手のスキルを身につけるには、まだ頭の柔らかい若いうちが断然有利だ。

「ちょっと働く いっぱい遊ぶ」が時代に適している良い理由

さて、それでは次に良い意味での理由を挙げてみよう。
それは、以前別の記事で書いたように、生活や娯楽にかかるコストが今やほとんどかからなくなったこと。

(※この記事の最後にもう一回リンク貼るから、今すぐに見に行かなくてもいいよ!)

――と、以前の記事で書いたとおり、もうすでに楽しんで生きるために必要なコストはそんなにかからない時代となっている。

その上で、年に100~300万くらいなら個人でも十分に稼いでいける時代になっている。

よって、そこまで必死にあくせくと働く必要は本来ないのだ。

 

いっぱい遊んで、人生を楽しんで、ぐっすり寝て、そんでちょっとだけ働く。それで私たちは、暮らしていける。
そしてむしろ、こっちの方が真の意味で豊かだ。

その逆に、眠い目をこすって、通勤ラッシュに揉まれて、一年の3分の2を出勤日に染められて、客や上司に頭を下げて、たまの休みには疲れ果ててなにもする気力も起きないような人生では、たとえお金はあっても決して豊かではないんだ。

 

なぜってそれは、自分の人生を生きてはいないから。
他人や労働のための人生になってしまっているから。

だからこそ。
今の時代の、僕らの世代の生き方は。――その理想形は。

そう、
「ちょっと働く いっぱい遊ぶ」

なのである。

そうして私は、私の人生を、私のために捧げてやりたい。
本当の意味で、豊かになるために。

 


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