生きていくのにお金が必要ない時代へ。下がりゆく生活費用・コスト

生き方・人生について

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(最後にもう一回リンク貼るから、焦って今見に行かなくてもいいよ!)


2008年9月15日(平成20年)に起こったリーマンショック以後、日本の労働者の給料は大きく右肩下がりとなった。いや日本だけではない。世界中のあらゆるところで、その影響は猛威を振るった。

その煽りを特に受けたのは、ちょうど今の20代から30代前半くらいの世代だ。彼らが就職する際には「就職氷河期」と呼ばれ、生涯収入もそれ以前の世代と比べて大きく下がり、

とにかくお金に余裕はなく、「若者の○○離れ」といった言葉がまるでEXILEのメンバーのように次々と取り替えられ、そして付け加えられていった。
私もまた、その真っ只中の世代である。

 

だが一方で、貧困が日本を”豊か”にした側面もある。
貧困なのに豊かとは、どういうことだろうか?

――それは、生きていくことにコストがかからなくなったことだ。

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下落する「生きるコスト」とは?

生きるのに、お金はそんなに必要ない時代へ

食べるコスト

たとえば食料。不景気な世の中になってから、安く買える食材や、安価でたらふく食える外食店が流行った。

ただ空腹を満たすだけならばほんとうにお金はわずかばかりしか必要ないし、またそこそこの味を求めるにしても、やはり以前よりかは圧倒的にお金が必要のない時代となったのだ。

それは不景気になり、お金のない人が多くなったことで、「安く食べられる」ことに需要が大きく発生したためである。

住むコスト

住むためのコストは、不景気とはまた別の理由でコストがかからなくなった。その理由の一つとしては、言うまでもなく少子化による人口の減少である。
(とはいえ、じゃあなぜ少子化となったのかというと不景気が原因で家庭や子どもが持てなくなったためであるが)

人が少なくなれば当然、住居を必要とする人間も少なくなる。

住居を必要とする人が少なくなればアパートやマンションでは空き家が多くなり、それを埋めるために家賃を安くする。いや、せざるを得ないのだ。

それは一軒家でも同じことで、人口の減少に伴い住むことに対するコストが軒並み下がってしまったのだ。……一軒家だけに軒並み!!!!

 

しかし理由はそれだけにとどまらない。ほかにも、「都心部への一極集中化」と、もう一つは「めまぐるしいイノベーション」による、どこに住んでいても以前より不便ではなくなったことが挙げられる。

経済は基本的には需要と供給だ。

都会に住みたい、と思う人が多くなればそれだけ都会の土地と家賃――つまるところ住むためのコストが上がる。

その一方で、需要の薄くなった地方のコストはガクッと下がる。

 

今は人が都心部へと集中している時代なので、「より住みやすい場所」を求める人にはその分”以上に”より多くのお金が必要であるが、その逆に「安く暮らせる場所」を求める人にとっては、それほどコストがかからないようになったのだ。

しかしながら、「安く暮らせる場所」というのは基本的には不便である。人がいなけりゃ店も少なくなるし、娯楽施設もあんまりない。オラこんな村嫌……おっと。

だが、ここもイノベーションの発達により不便さは大きく解消された。

 

インターネット上でほんの数クリックするだけで都会と同じものが購入できるし、娯楽についてもインターネット環境やフリーコンテンツが当たり前になったことで、住む場所にとらわれない娯楽に溢れるようになった。

このように、直接の賃金にしろ、不便さが解消されたことによる実態としての賃金にしろ、今はもう住むことに対してのコストはそうかからなくなったのだ。

 

そして。
さらに昨今、Airbnbのような新しい住宅ビジネスも出てきた。Airbnbを簡単に説明すると、個人がもてあましている住居や部屋を格安で他人に貸すサービスのこと。

これを利用することで、貸し手側は親から継いだ不動産や子が自立したことであまってしまった部屋を貸して利益を得ることができる。
(家単位じゃなく、部屋単位で貸し出せるのが特徴だろうか)

 

一方、借り手側はもてあまされている部屋を借りられるので、かなりの格安で借りることができるのだ。

Airbnbのようなビジネスがこれから先もっと普及し出すようになれば、持ち家が必要なくなる時代もそう遠くないかもしれない。

着るコスト

「食」・「住」の相場価格の低下があれば、当然「衣」も低下する。

工業機械のめざましい進化により、そこそこ高品質なものが簡単に大量生産できる時代となった。
ただ生きるための衣服を調達するのに、お金はほんのわずかしか必要がなくなったのだ。

 

――と、ここまではただのテクノロジーの進歩である。ところが昨今では、それに加えて広告業界とのタイアップなどにより、安いどころか無料で着るものがもらえるようなサービスも出現してきた。

その代表的な例を挙げると「フリパン」がそうだ。このサービスを簡単に説明すると、広告の入った下着を無料で差し上げますよ、といったもの。

広告の印刷された下着を提供することで、提供者側は広告によるベネフィットを受け取る。代わりに提供される側は、お金を払うことなく生活必需品を受け取ることができるビジネスモデルだ。

 

このフリパンのような形態、今はまだそこまで一般的にはなっていないが、いずれこういったビジネスモデルは広く普及するだろうと私は考えている。

なぜならば、テレビやインターネットなどの業界ではすでに、広告を挟むことでコンテンツ自体は無料で提供することが当たり前となっているからだ。

多くの場合で、無形商材のほうが新しいものを取り入れるのが早い。フリパンのような有形商材を扱う業界でも、そのうち浸透していくだろう。

まとめ

このように、「生きる」ためのコストは本当に以前と比べてかからなくなった。

だが人の(世間の)価値観が切り替わるスピードは、テクノロジーの進歩や経済の発展速度よりもずっとずっと遅い。

だからまだほとんどの人は、旧時代の価値観を背負ったまま生きてしまっている。

そしてその価値観のまま無駄にコストのかかる生活をし、またそれを維持するためにあくせくと働いてはまた働いてを繰り返し、「お金が必要」という幻想を追っていつまで経っても真の裕福さに気づかないままにして老いてゆくのだ。

けれど。

生きることも、
楽しむことも、
実はそんなに、お金は必要ないんだ。

それが僕たち、私たちの生きている今。この時代。
そう、「僕らの世代の、生き方」なのだ。

――Life-WorK―NeXT!

 


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