正直者が馬鹿を見る――とは昔からよく言われる言葉であるが、実際にその通りである。その通りであるからこそ、昔から今に至るまでずっと言われ続けているのだ。
一方で、正直さや真面目さが理由で得をする人も決してゼロではない。彼らは特別に「誠実」と表現され、人から信用され、そしてなにより愛される。
こんな言葉を耳にしたこともまた、少なくないはずだ。
ではなぜ、「誠実」な彼らは正しく陽の目を浴びているのに、「正直」や「真面目」な我々は日陰で馬鹿を見るだけなのか。
「誠実」と「正直・真面目」の狭間に、いったい何が隠れ潜んでいるのだろうか。
以下に述べよう。
真面目で損をする理由。正直者が損をする理由
正直者が馬鹿を見る。真面目で損をする。ああ、この世はなんと理不尽なことか。
しかし、いかなる事柄にもちゃんと理由が存在する。
正直者が馬鹿を見る理由。それは、正直さをPRできていないから――つまり、正直という長所を、自分の武器にできていないからだ。
顔が美形だとか、ぱっと見てわかる長所でもない限り、基本的にはPRしなければ自分のいいところなんて相手には伝わらない。
伝える努力も必要
これは正直さに限ったことではなく、ほかの長所であっても同じこと。特に性格面での長所なんて、目で見てわからないためそうそう伝わるもんじゃない。
だからちゃんと、伝えなきゃだめなんだ。
黙っていても自分の良いところを見てくれる人がきっといるからと、アピールする努力を怠っていてはだめなんだ。
そう思ったあなた。それは考え方が違う。
たとえばなにか悪いことをしたときに、包み隠そうとせず「私がやりました」と正直に名乗り出るのが誠実だろう。じゃあその逆に、良いことをしたときだってやはり隠すべきではないんだ。
仕事でだって、「報告・連絡・相談」と言われるように、報告をするのは不誠実では決してない。むしろやった仕事を言わない方が不誠実だ。
それと同じように、自分の良いところはちゃんと伝えるべきなんだ。自分の良さを伝えることにも「真面目に」取り組むべきであるし、自分の良さを「正直に」相手に伝えるべきである。そうして初めて「誠実」へと生まれ変わるんだ。
むしろ、黙っていても私の良いところをくみ取ってくれよ、だなんてほうが甘えだ。発表会やコンクールじゃあるまいし、あなたのことを真剣にみる義務は相手にない。
本当は恥ずかしいだけじゃないのか?
そして。
それにほんとは、自分がPRすることが恥ずかしいだけじゃないのか?
これ見よがしにアピールするだなんてそんなの誠実じゃない! ――と、自分に言い聞かせているつもりで、ほんとのほんとはただ自分で自分のことをアピールすることが恥ずかしいだけではないだろうか。
今一度よく、自分の胸に問いかけてみてほしい。
そしてもしもそうであるのならば、最後の最後のところで結局あなたは真面目でも正直でもないんだ。
だって自分を騙している。自分が恥ずかしい思いをしたくないがために、評価してもらう努力をせず他者に甘えている。なんだかんだで一番かわいいのは自分。だから、評価もされない。
他人だけでなく、自分にも正直であれ。
他人だけでなく、自分にも真面目であれ。
そうすることで、きみは、きっと。
真の正直さを手に入れられる。真面目さを手に入れられる。
みんなから愛される、「誠実」な人へと至ることができるんだ。