起業したからには365日・24時間への決定権を手に入れた代わりに、安定を失ってリスクを手にしていることを初心に据えなければなりません。
ふとしたときにでも、このような考え方を忘れないように心がけているのですが、そういった習慣が身に付いたのも反面教師とすべき存在との出会いがあったからかもしれません。
その人物とは、零細派遣会社の代表取締役を務めていた遠い親類となる藤岡です。
彼は独立した元従業員に顧客を引っ張られてしまい、転落の人生を歩むことになりました。
しかしそれも、元はといえば経営にマネジメントと、すべてを優秀な従業員に丸投げして遊び呆けていたのが原因です。
一方、独立した元従業員の吉田はほとんど苦労することなく、それも高額な給料をもらいながら独立のための経営基盤を構築してしまいました。
今回は、そんな藤岡と吉田の実話をお話ししましょう。
もしかしたらあなたが独立する際、知っておくと役に立つかもしれません。
本日の記事は、いくつもの会社を経営しているPHIROS様の提供でお送りします。
目次
会社乗っ取りの手口を実話で教えます
2017年の現在こそ人手不足の時代かもしれませんが、2008年前後のリーマンショックやサブプライム問題をはじめとするアメリカの景気悪化が生じる以前も、現在同様に人手不足が深刻な時代であり、派遣業界は強い追い風を受けていました。
派遣で働くスペシャリストを主役としたドラマも放送されており、ひとつの職場に縛られることのない働き方として、派遣のいい面ばかりがクローズアップされていた時代です。
このような時代に、藤岡は派遣事業に参入したのです。
しかし、この表現は正しくないかもしれません。実際のところ、スタッフに担いでもらった御神輿に乗っていただけのボンクラ社長でした。
この表現は私一人の感想によるものではなく、藤岡を知っている全員が口を揃えるほどなのですから、決して個人的感情による誹謗中傷ではありません。
こんな経営者が危ない! ボンクラ社長・藤岡の特長
藤岡の特徴を下記に箇条書きにしてみます。
・営業は大嫌い。新規顧客の開拓などすべて従業員任せ。
・既存顧客のフォローさえしない。
・経理はもちろんわからない。財務諸表でわかるのは最終損益のみ
・きっと、誰かがやってくれる! と思いこんでいる
・興味があるのは自分の給与明細
・困ったときには取締役としていた奥さんに頼る以外に術はなし
・義務の履行なしに、権利の主張ばかりを繰り返す
それが当たり前と思いこんでしまうような恵まれた家系に生まれたせいもあるのかもしれません。藤岡は旅館業を営んでいる家に生まれたお坊ちゃんでした。
名門小学校へコネで入学し、宿題は家庭教師にやってもらいながら日々を重ねていったところ、県内で知能レベル的に行くことのできる高校が存在せず、わざわざ隣の県にまで通う羽目に。
その後、名前を書けば合格するような私立大学を出て、家業の手伝いへ。その後、諸々の事情により廃業となったものの、休眠会社としていた家業の運営法人を起こし、派遣事業を取り扱い始めたのです。
もちろん、藤岡が一人で事業運営などできるはずがありません。
訪問営業する度胸も知力もなければ、人脈を辿りながら商談を持ちかけることもできませんし、経理や事務もできません。
そんな藤岡が事業者となった理由は、吉田という人物に、“営業なら任せてくれ、一緒に派遣ビジネスをやらないか“との申し入れがあり、その話に乗ったのです。
すべての始まりは、吉田からのビジネスの誘いだった。
上でもご紹介したように、当時の派遣ビジネスは追い風を受けておりましたので、事業に着手しようとする選択自体は悪くありませんし、不足していた戦力を確保してのスタートですから、藤岡にとっては有利な展開となったはずです。
しかし、この吉田との出会いが藤岡の転落のきっかけとなっていったのです。
営業をかければ面白いほどに数字が上がっていくため、吉田はマイペースながら売上を重ね続けました。
派遣売上はいわば継続課金のようなものですので、一度でもマッチングさせれば、その人員が稼働し続ける限り、売上が続いていきます。
最初こそ藤岡も事業が軌道に乗るように吉田のサポート役を積極的に努めていたようですが、事務員を雇い入れてからは会社にいることさえなくなり、出社して1時間もすれば帰路につき、家で夕刻までのんびりとするようになりました。
本来の姿であるお坊ちゃん気質が蘇ったのでしょう。
社長という肩書きに酔いしれ、対顧客折衝はすべて吉田に丸投げしながら、「私は皆さんを信用しているから、これだけ自由に仕事をしてもらうんです」とどこかで聞いてきたような受け売りを続けていました。
このような状況であったため、吉田は自身の給与を引き上げるよう何度も藤岡に迫りました。
その結果、なんと藤岡は言われるがまま給与を引き上げ続け、吉田は藤岡の役員報酬も追い抜く待遇を得るようになった頃、派遣切りが社会問題となったリーマンショック直後の時期を迎えます。
藤岡の会社の派遣人員も次々と切られ、次に人員を受け入れてくれる先もなく、売上も右肩下がりで赤字続きに。それでも吉田はマイペースを崩すことなく、焦りさえ表に出さない一方、焦るしかできない藤岡とのあいだで摩擦が生じるのは当然です。
どんな業界にも不況はやってくる。蜜を出さなくなった巣は要らない
立場上、藤岡は社長かもしれませんが、ただの飾りに他ならず、第三者から見れば、吉田次第でどうにでもなる会社です。
しかし、藤岡はバカなのでそのことに気付きません。社長だから従業員は自分の言うことを聞いて当たり前であり、自分は仕事をしなくてもいいと心から信じている人間です。
最終的に吉田に独立の動きが見られたため、奥さんの指示で吉田を解雇したのですが、その通知すら部外者の私に頼んでくるという有様でした。
その後、吉田は独立して同業を営み、藤岡の会社に勤務していたときに顧客をそのまま基盤としながら、まるでコピーしたかのような会社を作りました。
一方、藤岡の会社は減るばかりの売上を補てんするかのように借入を増やし、債務超過となって3年ほどして倒産しました。藤岡は最後まで何一つ自ら考え動くことをしなかったのです。
ほぼノーリスク・ノーコストでの起業の道もある。乗っ取りならね
さて、長々と記してまいりましたが、一連の流れにおいて吉田もさほど苦労していないのにお気づきになられたでしょうか。
自分も参入したいと考えていたビジネスに、経営者の藤岡に近い立場で入り込み、当初から給与を取りながらマイペースに仕事を重ねてきたのみであり、独立後も同じ動きを継続しているだけなのです。これほど楽でノーリスクな創業もなかなか見られないことでしょう。
何もしない、できない人間が零細のトップであれば、ノーリスク創業の大きなチャンスとなる可能性はとても高まります。
上記は藤岡がとんでもない経営者だっただけと思うかもしれませんが、同様のケースは案外と耳にするものです。会社の規模が小さければ小さいほど、野心を持っている人にとっては面白い展開を図ることができるのです。
後継者のいない中小企業が増加。今がチャンス!?
超高齢化社会を目前として、これまで細々とやってきた零細経営者も次々と高齢者デビューを果たしている今日、人手不足も相まっており、経営者に近い立場で働くこともより簡単になっているのではないでしょうか。
つまり、吉田と同じ立ち振る舞いをしやすい環境となっているのです。
マイペースで働きながらも良い待遇が受けられますし、その会社の経営基盤を把握しつつ、大きな裁量を持って顧客へアプローチできるのですから、ある意味、やりたい放題といえます。
よく、自分らしく働いていけるという文言を目にしますが、零細の場合には“自分らしく生きていける”といったほうがいいかもしれません。
そして、生きていくための選択肢を柔軟に変更していけるのが零細の魅力です。
では、零細に入社してからまず何を優先すべきかご案内させていただくと、経営者からの信頼を得るためのアクションを繰り返すことです。
経営者との距離感が近くライバルも少ないので、そこまで時間をかけることなく、あなたへの信頼は高まっていくと思います。後は、経営者の仕事をどんどん奪っていけば、自然とあなたの価値が上がっていくとともに、得意先をはじめとする社会からの信用の蓄積も図れることでしょう。
このように、”自分らしく生きるための就職”も今後は価値が増していくのではないでしょうか。