ところで私は、人との会話が超絶苦手である。自分でもいわゆるコミュ障だと思っているし、他人からもそのような指摘をよくされる。
これは能力的に低いだけにとどまらず、性格的にも可能な限り人と話したくねぇ極力関わってくんなと思っている。
(もちろん例外の人はいるし、ツイッターとかのやりとりなら問題ない。むしろツイッターでは自分から絡みにいく)
その一方で、私は”書く”ことは得意だ。
プロフィールにも書いているように、これでも私は自著を持つプロの作家の端くれのきれっぱしである。きれっぱしだろうがなんだろうが、プロはプロ。いくらなんでもさすがにアマチュアの平均的な文章力レベルは優に越えている。
――さて、こんな私は、本当にコミュニケーションが苦手と言ってもいいのだろうか?
というのも、コミュニケーションはなにも口頭だけがすべてではないだろう。文面などのテキストベースでのコミュニケーションだって、立派なコミュニケーションの手法の一つだ。
であるならば、たとえ対話が苦手だって、文面の方で大きくカバーできているために、私は真の意味ではコミュ障ではないのかもしれない。
今回は、そんなお話し。
目次
若者は本当にコミュ力がないのか? 移り変わるコミュニケーションの手法
――今の若者は、コミュニケーション能力がない。
今日の新卒採用の現場では、そう叫ばれている。だからこそその中でも一番マシな人材を迎え入れようと、新卒学生に求められる能力として「コミュニケーション能力」がトップに挙げられている。
だが残念ながら、そのような採用基準で人を採っているとあと十年後に泣きをみることになるだろう。なぜなら今はコミュ強な人間が、あと10年後にはそうじゃなくなるからだ。
その理由として、若者の間ではすでにコミュニケーションのメインフレームが口頭から文面へと移っていることが挙げられる。
たとえば、コミュニケーションツールとしておそらく今もっとも普及しているスマートフォン。さて、では今の若者はこれを使って、いったいどういったコミュニケーションを取っているだろうか?
――それはラインチャットやメール、SMSやツイッターにフェイスブックなどの、テキストをベースとしたコミュニケーションである。
それはもう圧倒的なほどまでに、通話時間(口頭でのコミュニケーション手段)よりずっと長い。
30~40の中年世代でもこのような現象は起こっているが、彼らはそれまでの人生で口頭を主体としたコミュニケーションを行ってきた世代なので、彼らにとってのメインフレームは未だ口頭のままだろう。
だが平成元年生まれ付近を境にして、その主従関係は完全にひっくり返ってしまったのだ。
だからあと十年もすれば。
十年後の2027年には平成元年生まれが37~38歳となり、それ以下の世代ではもう完全にテキスト世代となる。
よって会社組織においても、人の変化にあわせてテキストベースでのコミュニケーションが主体と移り変わってゆくだろう。
今の30~40代は一応口頭だろうが文面だろうがどちらでもいけるハイブリッド世代なので、そうなってもそんなに困らない。
そしてほぼ口頭オンリーの50~60代はあと十年後には消えていってるはず。
問題はそうなったとき、今のコミュ強人材がまったく使い物にならなくなる危険性をはらんでいること。
なぜならばそう、彼らは口頭でのコミュニケーションに長けているがゆえに、これまでそれで成り上がってきた人材である。
わざわざ彼らにとって”不便”で”メインフレームではない”文面でのコミュニケーションに頼る必要性はなかったのだ。これまでは。
今の若者がオッサン共に感じている、「文面コミュ障」とは?
では、テキスト世代である若者が逆に、口頭世代のオッサン共に対してどう感じているか。それは、
「こいつらキーボード打つのおっせーな! たかだかメール一つ送るのにどれだけ時間かかってるんだよ、口先だけの無能老害が」
……ざっくりと意訳すると、おおむねこのような感じになる。
ブルーカラーを除いたおよそあらゆる職業でパソコンが使われるようになった昨今、パソコンの操作が苦手というのはイコール仕事ができないということに結びつく。
また年輩の方に多い「キーボードを打つのが遅い」という状態は、テキスト世代の若者からすればコミュニケーションがたどたどしいのと同義である。
それはなぜって、何度も言うように口頭だけがコミュニケーションの手法ではないから。だから、
キーボードを打つのが遅い=文面でのコミュニケーションがたどたどしい=口先だけの無能老害=仕事ができない
となる。
移り変わった原因とは?
ではなぜ、今頃になってコミュニケーションの手法が移り変わっていってるのだろうか。
それは、スマートフォンの普及が主な要員である。
先に挙げたコミュニケーションの場――ラインチャットやメール、SMSやツイッターにフェイスブック。これらは基本的に、手持ちのスマートフォンによって利用される。
逆に言えば、スマートフォンがなければ基本的には利用されない。
もちろんパソコンを使えば決して不可能ではないが、気軽に持ち運べるたぐいの物ではないため、利用頻度は大きく下がるだろう。
少なくとも今のようにだれも彼もが利用しているような状態には決してならず、一部の「ギーク」や「オタク」と呼ばれている人種の間でのみ頻繁に使われるくらいである。かつてのICQやMSNメッセンジャーがそうであったように。
心理的な、手軽さ。
これまでは”手軽さ”において口頭ベースでのコミュニケーションに大きく水をあけられていたが、スマートフォンが普及してからその差は縮まった。
いやむしろ時代が変わり、テキストベースのほうが利便性とは別の意味での手軽さを持ってしまった。そう、今の若者世代は電話だと心理的に抵抗を感じてしまい、いまいち”手軽”には思えないのだ。
ラインチャットだと気軽にメッセージを送れるのに、通話だと緊張する。もはや恋する乙女である。
その上で、テキストベースのコミュニケーションにも元より勝っている部分があるため、それぞれ総合した結果の最終的な優位性が逆転しつつあるのだ。
そして優位性が逆転すれば、それに伴いコミュニケーションにおけるメインフレームも移り変わる。それが自然の摂理だ。
では次に、その勝っている部分を以下に挙げていこう。
テキストベースでのコミュニケーションの価値とは?
口頭でのコミュニケーションにはない、テキストベースでのコミュニケーションの魅力やメリットとは、なんであろうか。
1.通信コストが安い
同じ情報を人に伝える場合でも、テキストで伝えるのと音声で伝えるのとでは単純に必要とする容量(コスト)が違う。
テキストならば日本語1文字で2バイトしか必要ないが、音声ならば電話のあのクソ音質ですら容量にしてその100倍は余裕でかかるだろう。言ってみれば、それだけ無駄の多い情報伝達手段なのだ。
そして送受信するデータが重ければ重いほどお金がかかる。当然ね。
ちなみに対面での会話なら0バイトで無料だろと思われるかもしれないが、そもそも対面で会話できる状態にかかるコスト(お互い同じ場所にいる必要があるため、交通費や場所代が必要)がべらぼうにかかるため論外である。浅はかなり。
2.見返しが容易
メモを取るときやスケジュール帳にリマインダを入れる際、ふつうは音声ではなくテキストで入れられる。なぜならば、「あとで見返す」点においてテキストは非常に優秀だからだ。
これが音声ならばちょっとした「あれなんだっけ?」に対しても、いちいち音声丸ごと聴き返さなければならず、しかも環境によって聴き取りづらいなどということもわりと発生する。
3.聴き間違えなどの行き違いが発生しづらい(より正確な情報の伝達)
音声でのやりとりは、基本的に齟齬が発生しやすい。
単純に言い手の滑舌の問題もあれば、周囲の雑音・環境音によって意図しない伝わり方をしてしまうこともしばしばある。
テキストの場合でも「字が汚い」ことによって同じようなことは起こり得るが、そもそも今は手書き自体が減っている。よってこの問題は口頭でのコミュニケーションにおける問題点と言えるだろう。
4.多人数でのやりとりが容易
会話する全員が聖徳太子でもなければ、複数人で同時に会話をすることは大変困難である。たとえ同時でなくとも、たとえば飲み会なんかでも同じ会話の輪の中に加われるのはせいぜい4~6人、かなりがんばって8人くらいまでが限界だろう。
それ以上はたとえ同じ場にいても自然と別グループができあがり、別の話題で盛り上がってるはずだ。
ところが、テキストベースでの会話ならばその倍は堅い。さらに、5人くらいからまったく同時に話しかけられたところで余裕で対処できる。
5.編集・加工・引用・拡散が容易
自分が誤って発言したことの訂正や、誰かが言ったことの引用や拡散。それらが、口頭よりもずっと簡単に行える。
その場ですぐの訂正ならば口頭でも簡単に行えるが、わずかにでもタイミングを逃してしまうともう難しいだろう。
また、引用や拡散をする際、情報の伝達が口頭の場合と比べてきわめて正確である。ニュアンスどころか一字一句違えずそのままの状態で引用・拡散が容易に行える。
まとめ
と、このようにテキストベースでのコミュニケーションが元々勝っている部分も多い。その上で、時代が移り変わりパソコンやスマートフォンなどの電子デバイスを持つことが今やあたりまえとなった。
そうなると必然、タイピングやフリック入力に慣れ親しんだ人も多くなり、テキストベースでのコミュニケーションはよりいっそう手軽で、そして身近なものになったのだ。
今はまだ変革期なので、それまでの常識がガラッと変わる段階まではきていない。けれどあと十年も経たないうちに我々のコミュニケーションに対する捉え方は変わるだろう。
我々若い世代は変化の最先端であるため、旧世代の人たちからすればコミュニケーション能力が低いように見えてしまうだけなのだ。
本当はただ、フォーマットが違うだけなのに。