経済が発達したおかげか、現代ではほんの少し前では考えられなかったような職業が増えてきました。
ユーチューバー、プロブロガー、プロゲーマー、ニコ生主に実況者、旅ライター等々……。
多種多様な働き方が当たり前の時代になっています。
『好きなことで、生きていく』
これはユーチューバー界で有名なキャッチコピーですが、まさしく、旧世代の方からはまるで遊んでいるかのような仕事で稼いでいる彼らを表した秀逸なコピーであると言えましょう。
働かない、という『働き方』
さて、そんな現代において。
あえて「働かない」生き方を選ぶのもまた、働き方の一種なのではないかなと思います。
この生き方の第一人者として有名なのは、『持たない幸福論』
そもそも、「働く」とはどういうことか。
グーグル先生に「働く 意味」で訊いてみると以下のように返されました。
――目的にかなう結果を生ずる行為・作用をする。仕事をする。
そう、何も金銭を得ることだけが働くことではないんですね。多くの(旧世代の)「働いている人」は金銭を目的にして働いていますが、お金ではなく「生きていくこと」が目的の人にとって、たとえば野草を摘んだり人から物をもらったりする行為もまた働いていると言えます。
違うのはただお金を目的としているか、生きるのを目的にしているかだけ。つまり価値観の差違でしかない。
確かに「職業」ではありませんが、それを言うならば前述した「最近になって出てきた職業」達も、ほんの少し前ではそれは職業ではなかった。またもう少し遡れば、プログラマという職業だって存在しなかったのです。
移り変わる時代と価値観
ウィキペディアにこのような記述があります。
>>『1960年代には、行政手続の際職業欄にプログラマと記述し窓口に拒絶された話が残っている』
このように昨今では当たり前のように存在する職業も、当時は職業として認められなかったのです。
さて、時代は進み、産業は発達し、グローバル化も今では目まぐるしい速度で進行しています。日本に居ながら別の国の料理を食べたいと思っても、それほど難しい課題ではなくなりました。物資だって国産以外のものが増え、そして人間までもがこの日本に多く流入している時代です。人が変われば、価値観も変わります。
我々の生きている今。働かなくても生きていけるこの時代において。
働かない生き方もまた、働き方の一種として認めても良いのではないでしょうか。
プログラマが職業として認められていなかった当時のように、存在は既にしているのです。